「先輩、聞いてくださいよ」
「さっきから聞いてるよ」
パソコンの画面に向かって有希(ゆき)が言う。オンライン飲み会の相手は会社の後輩である松田太郎。付き合っていた彼女に振られてしまった太郎が、有希に愚痴を聞いてもらっているのだ。
「どうして僕は振られたんですか?」
「そんなの知らないよ」
酔っぱらいを相手にするのは大変だと、有希は呆れている。普段から冷静な彼女は、酒に強い事もあって飲んでもあまり酔わない。一方の太郎は酒に弱く、すぐに出来上がってしまう。
「先輩、もっと優しくしてくださいよー」
「いつも優しいでしょ、私は」
有希が一歳年上。会社では席が隣同士。太郎は末っ子だからか甘え上手。長女の有希とは相性が合うのか、二人で飲みに行く事も多い。
「先輩、僕を慰めてくださいよー」
「わかった、よしよししてやろう」
画面の向こうで頭を下げて待っている太郎に向かって、手で撫でる真似をする。それでも満足そうな彼を見て、有希は可愛く思った。
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「先輩は彼氏はいないんですか?」
「何よ、失礼だなあ。放っといてくれ」
「いやいや、すいません。でも、先輩はそんなにお綺麗なのに、どうして彼氏がいないんですか?」
二十五歳の有希は、見た目よりも大人っぽく見える。一般の女性に比べて背が高く、モデルと言われてもおかしくない美貌である。そのため、高嶺の花として近寄りがたい面がある。また、有希が隙を見せないからという理由もあるだろう。
真面目で完璧主義なところがある彼女は、冷たい女として見られる事が多い。愛情深く女性らしい内面を持っていながら、うまく表現できずに損をしている。そんな彼女は、太郎のように上手く懐に飛び込んでくる男性とは気楽に接する事が出来る。
「もし良かったら、僕が先輩の彼氏になりましょうか?」
「えっ?」
思いもよらない人からの突然の告白に、有希は固まってしまう。
「先輩、僕の事が好きなんじゃないですか?」
心の中では思っていても、なかなか言えなかった好きだという言葉を、好きな人から言ってもらえた現実に、有希は動揺を隠せなかった。もし彼が素面(しらふ)で、画面越しではなかったとしたら、彼女の気持ちに気づいたかも知れない。
しかし、酔っている事もあり、太郎の言葉が本気なのか冗談なのか、彼女には判断がつかない。このまま自分の本当の想いを伝えた方が良いのか。少し悩んだ後、意を決して有希は彼に告げた。
「もしさ、もし私がさ、そうだと言ったら……君はどうする?」
「えっ? 何ですか?」
「いや、だから、もしね、もし私が君の事をさ……」
言葉に詰まり、黙ったままの有希に彼は言った。
「先輩、ごめんなさい。僕もう眠くて限界です。すいませんけど、おやすみなさい」
太郎はそう言うと、パソコンの電源を落としてしまった。通話が途切れ、一人取り残されてしまった有希。呆れた気持ちと怒りの気持ちが入り混じりながら、新しい缶ビールを持ってきて一気に飲み干す。
「馬鹿野郎、その気にさせといて……」
溜息と共に一言呟くと、有希はそのままベッドに倒れこんだ。
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