看板娘

 夕暮れ時の街に人が溢れ出す。学校帰り、会社帰り、それぞれがいろんな事情を抱え、いろんな感情を携(たずさ)えながら歩いている。手を繋いで楽しそうに歩く男女二人。高校生だろうか、青春真っ只中の彼らを微笑ましく見つめる真紀(まき)。

 高校卒業後、実家のパン屋を手伝っている彼女。最近まで制服を着て学校に通っていた日々を思い起こしていると、店の自動ドアが開いた。

「いらっしゃいませ!」

 中学高校と合唱部だった彼女。透き通った声が店内にこだまする。その圧倒的な存在感に、思わず微笑みながら入ってきたのは若い男性だった。

 紺のスーツに身を包み、深紅のネクタイが目立っている。刈り上げられた襟足が清潔感を強調している。四月に入社したばかりの新入社員だろうか。太い眉毛にくっきり二重の目が男らしさを演出している。彼はゆっくりと品定めをした後、いくつかの調理パンをトレイに乗せてレジにやってきた。

「いらっしゃいませ」
「こんにちは。お姉さんはアルバイトさん?」
「はい、私はこの店の娘なんです」
「そうなんだ。じゃあ、看板娘だね」
「あはは、そうですかね?」
「こんなに可愛い看板娘がいるパン屋さんなら、毎日来ようかな」
「えー、本当ですか? ありがとうございます!」

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 可愛いと言ってもらえた事と、毎日来てくれると言う言葉が素直に嬉しかった。明るい性格で、すぐに誰とでも仲良くなれる。大きな瞳がチャームポイントで、自他共に認める可愛い十八歳の女の子。自分の魅力で新規顧客を獲得出来た、店の売り上げに貢献出来た。有頂天になった真紀は、一瞬で恋に落ちた。

 それから毎日、彼は店を訪れるようになった。夕方の決まった時刻に必ず現れる。有言実行の彼に、真紀はどんどん惹かれていく。

「今日もありがとうございます」
「真紀ちゃん、今日も可愛いね」
「えー、本当ですか? 嬉しいです。ありがとうございます!」

 真紀の笑顔は心からの笑顔だった。好きな人から可愛いって言ってもらえる。それも毎日。こんなに幸せで良いんだろうか。寝ても覚めても、彼の笑顔が瞼(まぶた)に浮かぶ。

 夢見る少女の彼女の妄想は、留(とど)まるところを知らない。彼と一つ屋根の下で暮らし、一つの布団で寝る、そんな生活をイメージするようになった。毎日会いに来ては「可愛いね」と言う彼と自分が、両想いだと考え始める。

 しかし、そんな彼女の幸せは長くは続かなった。

「いらっしゃいませ!」

 自動ドアが開き、彼が入ってきた。いつもなら嬉しいはずの真紀だが、今日は笑顔が固まってしまう。その原因は、彼の横にいる若い女性。長い髪をこれ見よがしに見せつけながら、彼と腕を組んでいる。

 二人はお互いを見つめながら、楽しそうに話している。彼女が指を差し、彼がトレイに乗せる。息の合った二人の間に、入る隙間はありそうにない。真紀の初恋は悲しくも終わりを告げた。

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