日曜日の朝、いつもより多い人の波。近くに場外馬券場があるからだろうか。駅前を通り過ぎようとして、改札が目に入る。
「あれ?」
見覚えのある人影。立ち止まり、じっと見ていると、人違いだと気づいた。
「まさか、来るわけないよね」
溜息交(ためいきま)じりの独り言が零(こぼ)れる。
いつも彼女を、この場所で待っていた。改札を抜けて僕を見つけると、手を振りながら走ってくる。恥ずかしくてしょうがなかったけど、それがまた愛おしくてたまらなかった。
人がいなくなった改札にレンズを向けてシャッターを押す。誰も写っていない駅の風景をSNSに投稿してみる。彼女がもし見てくれたなら、僕の事を思い出すかも知れない。そんな淡い期待を込めて。
すぐにいいねをつけてくれる優しいフォロワーたち。この人たちの中にいる誰かが、彼女にこの画像を見せてくれるかも知れない。そんな奇跡みたいな事を期待してみる。
「ねえ、どこに行く?」
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そう言って笑う彼女の顔が目に浮かぶ。思わずにやけそうになり、周りの目が気になってしまう。こんな僕を、どこか遠くから彼女が見ているなんて事はないだろうか? そんな馬鹿げた空想が頭に浮かぶ。
田舎を出て、東京に来てからずっと住んでいるこの街。僕に会いに、何度もこの街にやってきた彼女。いつか二人で住むことになると思っていた。頭の中で描いていた、この街での二人の生活。どこで歯車が狂ってしまったのだろう。
「紹介したい女性がいるんだけど、会ってみない?」
きっかけは、バイト先の先輩の紹介だった。出身県が近いという事もあって、打ち解けるのに時間はかからなかった。口数は少ないが、はにかんだ笑顔が可愛くて、僕はすっかり魅了されてしまった。
学生だったからお金はなかったけど、二人でいるだけで楽しかった。ぶらぶらと街を歩いたり、公園のベンチで彼女の作った弁当を食べたり、そんな何気ない日々が幸せだった。
「最近、彼女は連れてこないね」
馴染みの喫茶店のマスターの一言。何も言えずに困った顔で笑っていると、気まずそうに「ごめん」と言われた。僕の顔が嘘をつけなかったのだろうか。マスターはきっと、今まで何人もこういう顔を見てきたのだろう。別れたカップルは僕たちだけじゃないと気づいて、少しは気が楽になった。
マスターに気を遣わせたお詫びに、彼女が好きだったケーキセットを注文してみる。ケーキを一口入れると、口の中いっぱいに甘さが広がる。
「甘くておいしいね」
彼女の声が耳元で聞こえた気がした。思わず周りを見渡してみるが、こんな所にいるはずがない。一人でにやけた後、食べかけのケーキを撮影してSNSに投稿してみる。優しいフォロワーたちがつけたいいねに、何だかとても勇気をもらった。
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