台風が来ているわけではない。それなのに、強い風が窓ガラスを揺らしている。この部屋は曇りガラスで、外の様子は見えない。こんな日に出歩く人もいないだろう。まるで俺の心のようだ。健太郎(けんたろう)はソファーに寝転がりながら、ぼんやりと考えていた。
律子(りつこ)がいなくなってから、仕事をする気も起きない。友人と始めた便利屋の仕事も減っていき、今は一人で細々とやっている。彼は仕事どころか、生きる気力さえ失くしている。机と椅子、そしてソファーしかないこの事務所に、寒々しい空気が蔓延している。まだ夏だと言うのに……。
「来月、誕生日だったよね?」
「覚えていてくれてありがとう。ちなみに、誕生石はルビーよ」
「それは、指輪を期待しているのかい?」
「ええ、あなたもそのつもりでしょ?」
健太郎の脳裏に、彼女の笑顔が思い浮かぶ。仕事の依頼を何度も受けるうちに、二人はプライベートでも付き合うようになっていった。運命の出会いのように思えた二人。どちらからともなく、自然と一緒に住むようになった。
男は黙って仕事をすればいい。そんな昔気質(むかしかたぎ)で職人気質(しょくにんかたぎ)の彼は、無口で多くを語らない。そのため、恋愛とは無縁の生活を送っていた。
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一方の律子は、恋多き女。惚れっぽい性格で、男の扱いは手馴れている。まるで車を買い替えるように、次から次へと新しい男を渡り歩いていた。
父から受け継いだイタリアの血のせいだろうか。情熱的に口説き、どんな男も虜(とりこ)にしてしまう。健太郎も例外ではない。仕事をしていても彼女の事が頭から離れず、それまで毎日のように飲み歩いていた生活が一変した。仕事が終わればすぐに帰宅。休みの日も、彼女と共に行動をする。
彼女が選んだ服を着て、彼女が選んだ靴を履き、彼女が選んだ車に乗る。そのうち、仕事も一緒にするようになり、家だけでなく事務所でも一緒の生活になった。
しかし、仕事に対する考え方の違いから、二人は口喧嘩をするようになっていった。ある日、事務所にいた二人は口論となり、大きな喧嘩に発展してしまった。
「あなたとはもうやってられない。私は出て行くわ」
「そうか。好きにすれば良いさ」
売り言葉に買い言葉で、ついそう言ってしまった健太郎。目の前で指輪を外そうとする彼女に「返さなくて良いよ。いらなかったら捨ててくれ」と強がりを言った。
今でも街を歩けば、彼女に似た人を見るとつい指を見てしまう。ルビーをつけているんじゃないかと思って。あれから二年が経つのに、健太郎は未だに立ち直れないでいる。
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