「もういい加減、彼を解放してあげなくちゃ……」
ホテルの部屋で週刊誌を見ながら、由美子はポツリと呟いた。
風呂上がりの火照った体に、冷えたビールを流し込む。今日で映画の撮影は終わり、明日は東京に戻る。スタッフや共演者たちは、夜の店で浮かれている頃だろう。由美子も誘われたが、疲れているからと丁重に断った。
裸のまま、ベッドの上で大の字になる。モデルからスタートした芸能人生。何度も雑誌のグラビアを飾り、写真集やDVDも出した。年齢を重ねた今でも、スタイル抜群だと世間は言うが、日々劣化している事は本人が一番わかっている。
二十二歳で女優デビュー。三十六歳の今では、日本アカデミー賞候補の常連になっている。最初の頃は演技が大根だと酷評されたが、今となっては良い思い出だ。ベッドに寝転がって天井を見つめながら、大輔との日々を振り返ってみる。
最初に出会ったのは十年前。彼はまだ高校生で、十六歳の新人俳優。どこか儚(はかな)げで、触れたら壊れてしまうのではと思うほど、繊細なイメージをまとっていた。
十歳年下の可愛い男の子は、由美子にとって何故か気になる存在。人見知りで引っ込み思案、慣れない業界の人たちに囲まれて戸惑う彼を、何となく助けてあげたくなる。自分も先輩にそうしてもらったから、最初はそんな動機だった。
若さをエネルギーにする。若い人から若さをわけてもらう。そんな思いで、若い彼と体を重ねていく。由美子から直接演技指導を受けた彼は、どんどんと演技力を身に着けていった。天性の才能もあるだろうが、それが開花するように導いてくれる人がいてこそ、花開くものである。
由美子が業界内での力をつけていく度に、彼の映画出演が増えていく。そして今や、若手有望株の一人として名を連ねるまでになった。
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そんな彼が今、若手人気女優との熱愛を噂されている。週刊誌が発売された後、大輔が電話をかけてきた。
「あれはただ、食事に行っただけですよ」
「あら、そうなの?」
「はい。悩みがあるからって言われて、話を聞いてただけなんです」
「楽しそうに見えるけど」
「いやいや、僕には由美子さんしかいませんから」
必死に言い訳をする彼のために、とりあえず信じてあげる振りをした。
いろんな関係者から、二人の仲はかなり親密だと聞いている。彼にとって由美子は、自分を有名にしてくれた恩人である。その恩人を裏切ってしまうと、この世界で生きていくのは難しい。そんな思いに囚われている彼が可哀想だ。
もう私がいなくても、彼はこの世界で生きていける。私の役目は終わった。そろそろ、彼を解放してあげよう。
ベッドから起き上がり、鏡に向かってポージングをしてみる由美子。いろんな角度から、胸の張り、腰の括(くび)れ、お尻の肉付きを確認する。
世間の人の目は正しい。私はまだまだ商品価値がある。また新しい人を見つければ良い。彼が愛想を尽かすくらいの悪い女を演じてみるか。おばさんは潔く、身を引いた方が良い。
髪を乾かした後、浴衣に着替えてから新しい缶ビールに手をつける。窓のカーテンを少しだけ開いて、夜空を見上げると、綺麗な月が浮かんでいた。
彼と過ごした日々が、美しい映像となって蘇る。手放したくない気持ちが沸いてきそうになるのが嫌で、慌ててビールを流し込み、胸の奥の深い底に沈めた。
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