白いテーブルの上には、食べかけのバースデーケーキと、飲み干された缶ビールが転がっている。綺麗好きの野上博史(のがみひろし)は、テーブルの上だけでなく、フローリングまでもが汚れてしまった事が気になっている。
しかし、博史がそれ以上に気になっているのは、アルコールのせいで体が熱くなったのか、シャツのボタンを必要以上に外して、胸元を強調した白い下着を見せつけている神田美奈代(かんだみなよ)の方だった。
美奈代は、博史の中学時代の同級生。お互いに、田舎の高校を卒業後、東京の大学に進学していた事は知っていた。そんな美奈代から、昨日突然「博史くんの二十歳の誕生日を祝ってあげたい」と電話がかかってきたのだ。
中学時代、ほのかな恋心を抱えながらも、告白など出来なかった博史にとって、それは夢のような話だった。博史のアパートにやってきた美奈代が作った夕食を食べ、手作りケーキを食べたまでは良かった。
二人とも二十歳になったからと、ビールを飲んでいるうちに、美奈代が先に酔っ払ってしまったのだ。笑い上戸(じょうご)なのか、何でもない事でケラケラと笑っているし、真っ赤になった顔は、明らかに酔いが回っている事を証明している。
「暑い、暑い!」と言いながら、ボタンを少しずつ外していく美奈代の姿が、中学時代の可憐な少女のそれとはかなりのギャップがあった。しかし、普段は冷静な博史も、初めてのアルコールに酔ってしまい、若い男子の熱情が高まってくるのを抑えられずにいた。
「これは誘っているのか?」若い男の部屋に来て、こんな格好をしているのを見れば、誰もがそう思うだろう。彼女のとろんとした目つきが、妙に誘惑しているように思えて仕方なかった。少しずつ近づく博史。彼女もまた、近づいてくる。これはもう抑えられない。
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そんな感情を抱いた博史だったが、ふとカーテンの方が気になって目をやると、「早まるな!」という文字が浮かんでいた。それは立体的な文字で、まさに浮かびあがっているように見えた。
「早まるな?」その言葉が言わんとしている意味はわかる。しかし、どうしてそれが見えるのかが理解出来ない。しばらく浮かんでいたそれは、数十秒後には消えてしまった。博史はちょっと考えたが、自分の心の声が映像化したのではないかと結論づけた。
「ねえ、博史くん、私の事、好き?」
「えっ?」
美奈代はもう、心の準備は出来ていた。そのために、博史の部屋に来たのだから。ゆっくりと服を脱いだ美奈代は、手を伸ばして博史を引き寄せる。その時、目の前の床に「待て、早まるな!」という文字が、再び浮かび上がって見えた。
その文字を横目で見ながらも、逸(はや)る気持ちは止められない。心の声なんかに従っていられるか。博史は美奈代に誘われるまま、初めての体験を迎えるのだった。
「やっぱりだめか……」
暗い部屋でモニターを見ながら、博史は落胆の色を隠せなかった。三十年前の自分に送った、渾身のメッセージ。タイムマシンの研究をしてきた博史がようやく発明したのは、過去の時代に文字を送る機械だった。
あの日の出来事さえなければ、こんな結果にはならなかったのに。結婚前はあんなに可愛かった美奈代が、出産を繰り返すうちにどんどん太っていった。そして、体だけでなく態度まで大きくなっていき、料理や家事をしない美奈代にこき使われる毎日。
そんな日々から脱却するために、三十年前の自分にメッセージを送ったのに……。未来を変えられなかった事を素直に受け入れた博史は、静かにモニターの電源を落とした。
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