冬季オリンピックを一か月後に控え、スピードスケート女子団体追い抜き日本代表の練習にも熱が入る。初めて代表に選ばれた三枝春奈は、最年少ながらも先輩たちを上回るタイムを出し、好調をアピールしていた。
コーチの水上壮一が「よし、ラスト一周だ!」と声を掛けたその時、春奈の前を滑っていた三橋桜子が体勢を崩して転倒した。春奈もそれに巻き込まれて転んでしまい、そのまま二人は壁に激突してしまう。
「いたっ、痛――――い!」
リンク内に春奈の悲鳴が響く。水上が慌てて駆け寄ると、春奈の左足から血が流れていた。「救急車だ、早く救急車を呼べ!」水上は流れ出る血を両手で押さえながら大声で叫んだ。
薄れゆく意識の中、春奈は見てしまった。同い年で補欠の川崎忍が、悶絶する春奈を少し離れたところで見ながら薄笑いを浮かべているのを……。
その後開催された冬季オリンピック選手団の中に、春奈の姿はなかった。「仲間の活躍を見るのは辛い」春奈はテレビさえ見ようとしなかった。
結局、春奈の代わりに選ばれたのは川崎忍。優勝候補を抑え、日本はこの競技で初の金メダルを獲得した。日本中がこの快挙に歓喜する中、春奈だけは素直に祝福する事が出来なかったのである。
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しばらく何も考えずにぼーっとしていると、トレーナーで親友の市川葵がSNSでメッセージを送ってきた。「川崎忍と三橋桜子は出来ているわ」二人がキスをしている画像も添付されていた。
「ああ、そうか……」春奈はようやく悟った。忍が代表に選ばれるように、桜子が自分を怪我させたのだ。全ては二人によって仕組まれた罠だった。「絶対許さない!」両手の拳を握りしめ、ベッドに思い切り叩きつける春奈。
金メダル獲得の日本代表が帰国する日、空港はたくさんのマスコミとファンでごった返していた。選手たちが姿を現した瞬間、ファンの黄色い歓声が空港中に鳴り響く。
帽子にサングラス、さらには松葉杖をついて立っていた春奈は、並んで歩いてくる桜子と忍を見つけると二人に話しかけた。帽子とサングラスを外し、松葉杖を捨てて「おめでとう」と微笑む。
春奈が二人に抱きついた瞬間、「あっ」という小さな呻き声がして桜子と忍が同時に倒れた。二人の背中には、妖しい光を放つナイフがそれぞれ刺さっている。そして春奈も、ゆっくりとその場にしゃがみ込んだ。
「きゃーーーーーー!」空港内の空気を震わせ、甲高い女性の悲鳴が響く。事件は生放送でテレビ中継される事となり、日本全土に衝撃が走る。
誰もが悲しい表情の中、一人だけ微笑みを浮かべる人物がいた。トレーナーの市川葵である。葵と忍は恋人同士だったが、忍は葵と別れて桜子に乗り換えていた。葵の復讐に利用されたと言う事を、春奈は知る由(よし)もない。
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