平日の昼下がり、閑静な高級住宅街を彷徨(さまよ)う二人の男女。自称霊能者の秋谷悟と恋人の河合優里である。どの家も敷地が広く、歩いて探すには骨が折れる。ただ、霊能者を名乗るだけあって、秋谷には独特の嗅覚があった。目当ての人を探すアンテナはそれなりに強いようだ。
「よし、今日はここにしよう」
一軒の家の前に立ち、秋谷は優里に言った。優里は黙って頷(うなず)くと、迷う事なくインターホンを鳴らす。「どちら様ですか?」と尋ねる老婦人の声が、山の手らしく上品に響く。
「突然失礼いたします。私は佐藤美奈子と申しまして、ボランティアでお宅訪問をさせていただいております」
「何のボランティアですか?」
「皆様の幸せのお手伝いをさせていただいております。特別な霊能力を持つ門田先生の指示で、危険が迫っているお宅にお知らせしているのです」
「危険って、何が危険なんですか?」
「奥様の住宅から負のオーラが出ていると門田先生がおっしゃいます」
「負のオーラって何ですか?」
「奥様の周りで何か、困ったことが起きているのではありませんか? どなたかがご病気だったり……」
「そう言えば最近、主人が体がだるいと言いますけど……」
「えっ、それは大変です! 早く対処しないと、ご主人様に危険が迫っています。今すぐ門田先生に処置していただかないと大変な事になります。中に入れていただいてもよろしいですか?」
「えっ、今すぐですか?」
「そうです。一刻も早くしないといけないと、先生がおっしゃっています」
優里に早口で畳み掛けられ、老婦人は不安を膨らませていく。言葉巧みな優里の説得に押し切られ、老婦人は「では、中へお入りください」と二人を招きいれた。
家に入った秋谷は、一直線に夫の部屋に向かった。部屋に入る許可を得ると、寝ている夫の胸に手を置きながら何やら呪文を唱え始めた。
しばらくして「はいっ!」と大きな声で気合を入れた。「もう大丈夫です。安心してください。ご主人の顔色も良くなったように見えませんか?」秋谷がそう言うと、「そう言えば、そんな気が……」と老婦人は答えた。
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「あのう……今回はおいくらお支払いしたらよろしいでしょうか?」と言われ、「初めに申し上げました通り、これはボランティアです。お金は頂きません」と優里は答えた。
「ありがとうございました」深々と頭を下げる老婦人に秋谷が、「ご主人は悪いモノに憑(つ)かれやすい体質です。是非お守りを持たれることをお勧めします」と言った。
「お守りと言いますと、どのようなものが良いのでしょうか?」と聞かれ、「これは先生が一年間の苦行の末に作り出した魔除けのお札です」と言って、優里はカバンから取り出した一枚の札(ふだ)を渡した。
「これは、おいくらでしょうか……」
「かなり強力なものなので、一枚十万円になります」
「十万円、ですか……」
「値段の安いものですとそれなりの効果しか期待出来ませんが、これ一枚あれば一年間は守られます」
「一年……。なるほど、ではそれを十枚下さい」
「十枚ですね、承知いたしました」
老婦人は金庫を開け、帯付きの新札百万円を優里に渡した。優里と秋谷は深々と頭を下げ、「お大事に」と言って家を出た。
二人は無言のまま足早に駅に向かい、電車に乗ってアパートに戻った。優里はカバンを開き、百万円の束をテーブルの上に投げた。
優里が「うまくいったね」と微笑むと「そうだな、なかなか上出来だったじゃないか?」と答え、秋谷は変装用の髭をとった。「あの先生のおかげだね」と優里に言われ、秋谷はある占い師に言われた言葉を思い出していた。
「あなたは霊感が強く、特殊な力を持っていらっしゃると思いますよ」
そう言われて以来、秋谷は「どこに病人がいるかピンとくるようになった」と言う。それまでも二人は詐欺を繰り返していたが、裕福な高齢者向けに魔除けの札を売るようになってからは、かなりお金が貯まってきた。
素直で人を信じやすく、騙されてばかりだった秋谷。頭の回転が早く、言葉巧みな優里と知り合ってからは人を騙す側になった。人を騙すことに対して罪悪感を感じていた秋谷だったが、病気の人にパワーを送るヒーリングで癒(いや)すようになってからは、少し罪悪感がなくなった。
一枚十万円なんて途方もない値段である。しかし、自分のヒーリングにそれだけの力があると思えば、少しは自分を納得させられる。ただ、魔除けの札には何の力もない。
コーヒーを持ってきた優里が金庫を指差し、「いくら貯まった?」と尋ねた。「ちょっと待って」と言って秋谷は金庫を開け、お金をテーブルの上に並べた。数えてみると、今日の百万円を加えて二百万円になった。
秋谷がコーヒーを飲みながら「もうこれだけ貯まったんだね」と言うと、「全部悟くんのお陰だよ」と優里が背中から抱きついた。
優里はそのまま秋谷を押し倒してキスをする。長い長いキスをしながら、秋谷はだんだんと睡魔に襲われていった。
床に寝ていた秋谷が目を覚ますと、もう朝になっていた。眠い目をこすって辺りを見回す。しかし、優里の姿は見当たらない。秋谷がテーブルの上を見ると、手紙が置いてある。
「お金は半分、私が頂いていきます。今までありがとうございました」
秋谷が金庫を開けてみると、帯封のままの百万円が残っていた。「行っちゃったのか……」と呟き、ぼんやりする秋谷。
彼が、一番上と一番下を除いた九十八枚がカラーコピーで印刷した一万円札だと気付くのは、それから三日後のことである。
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