平日の夕方、店のドアが開く。その音に気づいた私は、予約はないはずなのにと思いながら、入り口に駆け付けた。そこには、灰色のスーツを着た中年の男性が立っている。
私の顔を確認すると、彼は黙ってお辞儀をして、そのまま何も言わずに立ったままだ。私は思い切って尋ねてみた。
「今日は何か御用ですか?」
「あっ、いや、あの、最近あなたの噂を耳にしまして……。それで、どうしても行ってみないといけない気がして……。突然ですが、今日寄ってみました」
「そうだったんですか。どうぞ、良かったら中へお入りください」
私は、彼が導かれてきた理由がすぐにわかった。彼のすぐ横に、居るはずのない女性が視(み)えている。彼女は生前、何度かここに来た事がある。気になる人との相性を観てほしいと、度々相談しに来ていたのだ。そんな彼女が急に来なくなって、もう一年になる……。
あんなによく来ていた彼女が、急に姿を見せなくなった理由が今わかった。来たくても来られなかったんだね。彼女の無念が伝わってくる。今はもう話せない彼女の言葉を代弁したくなった。
「コーヒーでもお飲みになりますか?」
「えっ、はい、ありがとうございます」
頭を下げた彼の横に、彼女は座っている。彼の方を向いているのに、彼は全く気づかない。彼女は生前、箸が転んでも笑うような笑顔の絶えない女性だった。それなのに今は、表情一つ変えずに、彼をじっと凝視している。それを視るのが辛くて、コーヒーを淹(い)れながら涙が零(こぼ)れそうになる……。
「ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます、いただきます」
お辞儀をする彼の横に、もう一つのコーヒーカップを置く。湯気が立つそのカップを見て、不思議そうな顔をする彼。
「えっ? あのうー、どうしてもう一つ、あるんですか?」
「だって、そこにいらっしゃるじゃないですか」
「えっ? いらっしゃるって、誰が?」
「あなたがよくご存じの女性ですよ」
「えっ、じょ、女性? せ、先生、何を言っているんですか?」
鳩が豆鉄砲を食(く)ったような顔をしている。初めて会った私に、こんなおかしな事を言われるんだから仕方ないけどね。
「覚えていないんですか?」
「覚えてるって、何を?」
「一年前の事ですよ」
「い、一年前?」
「この人の名前は大山朋美(おおやまともみ)さんです。一年前にあなたに殺されました」
「えーーーーっ?」
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彼の動きがピタッと止まる。息をするのも忘れているようだ。
「あなた、あの時、飲酒運転だったんですね。誰にも見られていなかったから、彼女の遺体を運んで遺棄した。どうです、思い出しましたか?」
「い、いいえ……」
彼の目が泳いでいる。動揺は隠せない。
「あなた、名前は宮崎悟(みやざきさとる)さん、ですよね?」
「えっ、どうして私の名前を知っているんですか?」
「だって、彼女が教えてくれましたから」
「えっ、彼女?」
私が指を差したのは、彼の左横の空間。しかし、彼が左に顔を向けても、そこには誰もいない。
「実は私、亡くなった人と話が出来るんですよ」
「……」
大きな目を、さらに大きく広げる彼。
「彼女は、あなたの実家の庭に埋められていると言っています。住所もはっきり教えてくれました」
「そ、そんな、ば、馬鹿な……」
「神奈川県横須賀市……」
「うわあーーー!」
大声を張り上げ、両手で耳を塞ぐ。自分の名前、実家の住所さえも知っている。霊と話が出来る事を、本当だと認めているようだ。
「さて、どうします? これから警察に自首しますか? 刑事さんの知り合いがいるので、電話しましょうか?」
私がスマートフォンを取り出して電話をかけようすると、彼は突然立ち上がった。
「す、すいません。急に用事を思い出しまして、ははは……。もう、帰ります」
そう言うと、足早に入り口に向かい、ドアを開けて外に飛び出した。そして彼が走り出してから数秒後、脇腹に鋭い痛みを感じた。思わず左手で押さえるが、どくどくと赤い血が流れ出て止まらない。彼は膝から崩れ落ち、その場に倒れ込んだしまった。
彼の目の前を、知らない男が「わーーー!」と叫びながら走っている。後ろから来た警察官数人が取り押さえるが、それでもなお、その男は何かを口走っていた。
私が駆け付けた時、既に彼は虫の息だった。その現場から少し離れて、大山朋美が立っているのが視える。
彼の呼吸が止まったのを見届けると、彼女はすーっと静かに消えていった。私は静かに手を合わせ、彼女の魂が天国に行けるように祈った。
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