ある夏の昼下がり、翔子(しょうこ)は約束のファミリーレストランを訪れた。相手は、禁煙席の一番奥で待っているとの事。店の入り口からぐるりと見回すと、いた、ノートパソコンを開いている男性が見える。
恐る恐る「あのう……すいません。星流(せいりゅう)先生ですか?」と声を掛けてみる。男性は顔を上げて「はい、星流です。あなたが、翔子さん、ですよね?」と尋ねてきた。安堵した翔子は笑顔で「はい、そうです。よろしくお願いします」と言って頭を下げた。
翔子は腰を下ろし、目の前の男性と同じようにドリンクバーとケーキセットを頼んだ。ホットコーヒーを用意して席に着いた翔子に「早速、鑑定始めましょうか?」と切り出す男性。その自信に満ちた姿に、翔子は深い安堵を覚える。
鑑定した人を幸せにすると言う噂を聞き、不安と期待を半分ずつ抱えながらも会う事に決めた翔子だったが、その声と穏やかな微笑みを見た瞬間に、男性の不思議な魅力に引き込まれていた。
「知りたいのは、電話で聞いた彼との相性ですよね?」と聞かれ、「はい」と顔を強張らせて頷く。どんな事を言われるのか、その答えを受け入れられるだろうか、心の中で自問自答を繰り返す翔子。彼女の心を見透かしているのか、満面の笑みで彼は言った。
「大丈夫ですよ。心配いりません。お二人はお互いの不足を補い合う、素敵な組み合わせです」
そう言われた瞬間、翔子は全身に電流が走ったかのような感覚を覚えた。今日まで、あまりにもいろいろな事がありすぎて、諦めかけていた恋。それでも諦めきれず、一縷(いちる)の望みに賭けていた恋。
違う人にしたら、という声も聞いた。翔子自身、そう思った事もある。でもやっぱり、諦められない。どうしてかわからないけれど、この人じゃないとダメなんだ。そんな思いを長年抱えてきた彼女だった。
「あなたが持っていないものを彼が持っていますし、彼が持っていないものをあなたが持っています。正反対の二人ですが、だからこそ最高のパートナーなのです。あなたがちょっと努力する事になると思いますが、あなたなら大丈夫。きっと上手くやれますよ」
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確かに、いろいろと気になる事も多い。だけど、自分だって完璧な人間じゃない。彼にもきっと、嫌な思いをさせているかも知れない。それでも今日までやってこれた。これからだって大丈夫。翔子は自分に言い聞かせていた。
「今年はお二人にとって良い年です。今年、来年、遅くても再来年までには結婚すると思います」
「本当ですか?」
「はい。思いは具現化するんです。具体的にイメージ出来るように、プランを立てていきましょう。ノートに、いつまでに結婚すると書くんです。そして、それが叶った、良かった、嬉しいと書きましょう。脳はそれが正しい事だと認識して、その実現に向かって行動を始めますから」
「わかりました」
翔子は、その日の晩からノートを書き始めた。表紙には「愛しい人との夢ノート」と書かれている。今年中には彼からプロポーズされ、来年は一緒に暮らす。すぐに子どもにも恵まれ、幸せな家庭を築く。そんな将来の理想像をイメージしながら、ノートに夢を書き続けた。
そして、翔子の生活に変化が現れ始めた。もっと楽に生きようと思い始めたのである。今まで、こうあらねばならないという思いが強かった彼女の心が、少しずつ変わり始めたのだ。
あの時「意識して、彼にアプローチしてみましょう」と言われて以来、遠く離れた彼との連絡を密にしてきた翔子。「動けば、良くも悪くも運命は変わります」と言われたからだ。
今までは受け身だった彼女は、「あなたがリードする立場です」と言われた言葉を思い出しながら、積極的に彼に働きかけていった。そうする中で、彼も結婚を強く意識し始め、遂にプロポーズされたのである。
両親や友人たちからの祝福を受け、ようやく彼と結婚した翔子。彼女には、もう一つ叶えたい夢があった。
それは、自分の店を持つ事。そのために、和食の勉強もしてきたし、「夢ノート」にも「三年後に店をオープンさせる」と書き続けてきた。
それから三年後、遂に彼女は夢を実現させた。結婚してから住み始めたお洒落なマンションの部屋には、二人で揃えたお気に入りの家具が備えられている。朝食の準備をしている翔子に、出掛ける準備を整えた愛しい人が声をかける。
「いよいよ、今日がオープン初日だね」
「うん」
「ごめん、仕事で僕は立ち会えないけど」
「ううん、大丈夫、気にしないで。ほら、時間ないから食べて」
愛しい人の横には、彼にそっくりの息子が座っている。翔子は幸せの真っただ中にいた。
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