真行寺は、美優の涙を優しく指で拭った後、そっと唇を重ねた。まるで壊れ物を扱うような優しいキス。美優は重ねた唇を通して、彼の愛情の深さを知る。
彼女には、苦い思い出がある。自分を捨てて違う女性と結婚した元彼のキス。別れて何年も経っているのに、何の断りもなくキスをされた。それは突然の事で、彼女には拒む暇(ひま)もなかったのである。
妻子ある身でありながら、どうして平然とそんな事が出来るのか。ごめんと言えば許されると思っているのか。その晩は悔しくて、布団を被って泣き明かした美優だった。
美優がその出来事を真行寺に告げると、彼は感情をむき出しにして怒った。同じ男として、女性をモノのように扱う事が許せない。そして、大切な彼女を傷つけられた事に対する怒りだった。
傷ついた美優を労(いた)わるように、優しいキスを繰り返す真行寺。彼の深い愛情が、唇を通して伝わってくる。美優が経験してきたそれまでのキスとは明らかに違う。それは、自らの欲望を満たすためのものではない。相手の喜びのために自らを犠牲にする、厳(おごそ)かで崇高なものなのである。
背中に回された両手も、ガラスを扱うかのように柔らかく感じる。それまでの男たちのような、荒々しいものではない。まるで生まれたばかりの赤子を抱きしめるような、そんな慎重さが伝わる。
優しく背中を撫でていたその手は、やがて彼女の髪に触れた。彼は愛娘を愛するように、美優の頭を撫でる。遠い昔、父親にしてもらった記憶が蘇る。美優は彼の愛情の深さを感じた。美優の体が次第に熱くなり、このまま溶けてしまいそうな感覚に陥っていく。
「ニャーン……」
突然の鳴き声が耳に届き、美優は我に返った。
Sponsered Link
「ごめんなさい」
美優は真行寺から離れると、足元の愛猫を抱き抱えた。
「グリ、お腹空いたの?」
猫の名前はグリス。引っ越し祝いに頂いたブリティッシュショートヘアの雄猫である。
「先生、ちょっとお待ちください。この子にご飯を食べさせます」
「もうお昼ですね。僕たちもどこかに食べにいきましょうか」
「わかりました。少々お待ちください」
美優はグリスにご飯を食べさせると、素早く出掛ける準備に取り掛かる。今までビデオ通話越しにデートを繰り返してきたが、実際のデートは初めて。胸のドキドキが止まらず、逸(はや)る気持ちを抑えるのに大変だ。
「お待たせしました!」
「では、行きましょう」
マンションを出ると、真行寺が立ち止まって尋ねた。
「どちらに行きますか? 美優さんにお任せします」
「じゃあ、ソラーレって言うイタリアンのお店に行きましょう」
美優はそう言うと、さりげなく真行寺と手を繋いで歩きだす。遠距離恋愛の頃から夢見ていた事が現実となり、美優の足は空に浮いているように感じられた。真行寺もまた、照れながら美優についていく。知人がいない街であり、今や自分は独身である。下を向く事なく、彼の心は晴れ晴れとしていた。
マンションから南に向かって十分ほど歩くと、目的のソラーレがある。メイン通りを離れると住宅が立ち並び、カフェやコンビニも多い。食後の散歩に円山公園まで歩いていけるため、人気の店である。前から先生を連れてきたいと考えていたのだ。
「ここです」
「素敵なお店ですね」
「さあ、入りましょう」
美優は真行寺の手を引っ張って、窓際のテーブルを目指す。街路樹の木々が風景画のように映るこの席は、彼女のお気に入りの場所だ。
「先生は何にしますか?」
「美優さんにお任せします」
「はーい。了解しました!」
ここに来ようと決めた時から、パスタのコースにしようと考えていた。揚げナスとラグーソースのスパゲティと、サラダはモッツァレラチーズとレタスにトマト。可愛いピンクのドレッシングが欠かせない。
「先生、アサリとキャベツとカラスミのパスタをシェアしましょう」
「はい」
ほどなくして、料理が運ばれてきた。先生と初めての食事。夢にまで見たランチデート。美優はこぼれる笑顔を抑えるのに必死だった。
「先生、お味はいかがですか?」
「美味しい! 美味しいです。こんな美味しい料理を美優さんと一緒に食べる事が出来て、僕は幸せです」
「先生、私も幸せです!」
通りを歩く人たちの姿が見える。彼らからは、二人はお似合いのカップルに見えるだろうか。そんな事を想像するだけで、美優のお腹はいっぱいになった。
「先生、デザートはプリンですけど」
「プリンは大好きですよ」
「それは良かった」
私はあなたが大好きです、そう言いたい美優だった。
ご意見、ご感想などがありましたら、お気軽にお伝えください。
story@kaminomamoru.com
『心霊鑑定士 加賀美零美 1 Kindle版』amazonで販売中!
Sponsered Link