君が好きなこの公園は、昼間の賑やかさが信じられないほど音がなくなっている。ただ、木の葉を叩く雨音だけが僕の耳に届く。軽快なジャズのような心地よいリズムが聞こえていたのに、その楽しさとは真逆の響きが僕の耳に届く。信じたくはなかったけれど、消えそうなくらいの微かな声が確かに聞こえた。
「さよなら……」
僕は一瞬、金縛りのように動けなくなった。雷に打たれたらこんな感じなのだろうか? 予想はしていたとは言え、実際に聞いてみると、そんなに気持ちの良い響きじゃないな。僕の傘から君が飛び出していく。
雨、降っているんだよ。だけど君は、そんなのお構いなしなんだね。追いかけなくちゃ。心臓が痛いけど、頭が働かないけど、とにかく追いかけなくちゃ。両手両足に思い切り力を入れて、君の後を追いかける。
「待って!」
ようやく君に追いついて、傘で雨から守ろうと思ったけど、それじゃなんか違う気がして、僕は傘を放り投げた。そして君を、正面から抱き寄せた。君の柔らかい胸を、僕の心臓が感じている。君に、僕の高鳴る鼓動が伝わるだろうか?
別れの言葉を言われたのに、僕はお構いなしに君にキスをした。目を瞑って、勢いに任せて君の唇を奪う。唇から繋がる神経が、僕の脳に刺激を与えている。もっと強く抱きしめ、もっと強く唇を押し当ててみる。体をこわばらせている君。心だけは、許してくれないんだね。
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僕の脳裏に浮かぶのは、二人が過ごした愛の日々。それまで他人だった二人が、ふとしたきっかけで知り合った。それはもう、旧知の仲のように自然な出会いだったよね。好きな歌、好きな映画、好きなドラマ、好きな漫画、嘘みたいに同じだったから、話がどんどん弾んでいったんだよね。
映画も観たし、遊園地にも行った。動物園や水族館にも行った。君がコアラが好きだから、僕もコアラが好きになった。君がペンギンが好きだから、僕もペンギンが好きになった。僕の部屋は、君が買ったコアラとペンギンの人形で溢れている。
カラオケにもよく行ったよね。歌い始めると終わらない君。僕はもっぱら聞き役だった。気持ち良さそうに歌う君を見るのが好きだった。いつも君のワンマンショーだったよね。お世辞にも上手いとは言えない君の歌を、僕以外の男が聞いてくれると言うのかい?
あんなに君のために尽くしたじゃないか。僕のどこが駄目だったのさ? 君の嫌な所は直すからさ、さよならなんて言わないでくれよ。誰なんだよ? 君の心を奪っていった奴は誰なんだよ? こいつには敵(かな)わないと思ったら、素直に諦めるからさ。僕に教えてくれよ。
二人黙ったままの時間が、僕の心をどんどん重くしていく。どうしようもない気持ちを引きずったまま、君の左頬に僕の左頬を押し当ててみる。そして、少しだけ力を加えて、君をもっと抱きしめてみる。ああ、もっともっと強く抱きしめたなら、君は壊れてしまうのだろうか?
誰かに奪われるくらいなら、このまま壊してしまいたい……。
「痛い……」
その声で正気に戻った僕は、「ごめん」と言って君を離した。そのまま何も言わず、駆け出した君を、僕はもう追いかける事は出来ない。ただ雨に打たれて、立ち尽くす事しか出来ない。僕の他に、誰もいない公園で。君が好きだった、この公園で……。
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